稀勢の里 水戸で土俵入り

6月11日、茨城県出身の横綱稀勢の里が水戸市城東2丁目にある第19代横綱常陸山の像の前で土俵入りを行いました

大相撲を「国技」に押し上げその品格力量から「角聖」とまで呼ばれた同じ茨城県出身の郷土の大先輩の前で自らも角聖に近づくことを誓いました、また同じく茨城県出身の新大関高安が最後の太刀持ち役を務めた、茨城県出身の2人を一目見ようと常陸山生誕の地には約3800人もの人が詰めかけました

稀勢の里は「大先輩の前での土俵入りは光栄、一歩でも近づけけるよう精進したい」、高安は「最後だと思って、いろいろ考えながら取り組んだ、自分もいつか違う形でここに戻ってきたい」と語りました

 

◆常陸山谷右衛門(ひたちやま・たにえもん)本名・市毛谷右衛門、1874年(明治7年)1月19日に現在の水戸市生まれる、1892年6月場所初土俵、1903年夏場所後に横綱昇進も決定後に「梅ケ谷と一緒がいい」と希望してライバルと同時昇進「梅常陸時代」を築いた、「角聖」と呼ばれた第19代横綱常陸山、相手に力を出させてから勝つ、まさに「横綱相撲」の手本だった、水戸藩士の家に生まれたことから相撲にも武士道を求め「力士は力だけでなく、品格を持たなくてはならない」と諭してきた、その意思こそ明治維新の動乱で衰退した相撲を「国技」に押し上げた、現役時の1907年には休場してまで渡米しT・ルーズベルト大統領に会って相撲を広めた話は110年も前の出来事です、当時は優勝制度がなく1909年夏場所で定められてからは優勝1度だが幕内32場所でわずか15敗(150勝)、1914年(大正3年)夏場所で引退し「出羽ノ海親方」として3横綱4大関を輩出、1922年6月19日に敗血症のため48歳の若さで急逝、初の協会葬にて行われた